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Our Story and Angel's Story in Japanese

 ルート66は50年以上もの間、北アリゾナとセリグマンの町にビジネスをもたらしてくれました。

しかし、9月22日1978年に州間高速道路40号線の開通によって、それまで一日に何千台とセリグマンを通過していた車が一切通らなくなりました。

セリグマンの生活・ビジネスがたった一日で消え去った出来事でした。食事、給油や宿泊などで利用していた旅行者はセリグマンの3キロ南に完成した高速道路を通過するのみとなりました。それによりセリグマンで暮らす人々は10年もの間厳しい生活を強いられました。徐々にビジネスは朽ち果て、それにより人々は引越し、町は荒廃していきました。

セリグマンの町で床屋を経営しているエンジェル・デルガディーロは、町が荒んでいく様子はもう見たくないと意を決しました。そして、エンジェルはアリゾナのルート66号沿いの町の代表を集めて、ルート66を『ヒストリックルート66(歴史的道路66号線)』にする為に会議を開きました。その結果、1987年2月18日にエンジェルの努力が実り、セリグマンに再び活気が戻ってきました。この会議でアリゾナ州ヒストリックルート66協会が設立し、エンジェルが会長となりました。また、ルート66保全に努める最初の組織となり、エンジェルの床屋は最初の活動本部となりました。

エンジェルと妻・ビルマはルート66協会をサポートする為に、ルート66の記念土産品を少しずつ販売し始めました。それが現存する最初のルート66ギフトショップとなります。このとき彼らは次に何が起こるか知るはずもありませんでした。

1987年11月、アリゾナ州ルート66協会は見事に成功を納めることが出来ました。アリゾナ州政府はセリグマンからキングマンまでの旧国道ルート66を『ヒストリックルート66』と命名しました。その後すぐに、セリグマン東側の旧ルート66とキングマンからカリフォルニア州協会までの範囲がヒストリックルート66と呼ばれるようになりました。全長3755kmの中でもこの区間が最も長く旧ルート66の道路が残っている範囲となります。

協会は旧道を『歴史的道路』として復活させるという事だけではなく、実際に実現させたという事実が人々の旧ルート66へ対する関心を駆り立てました。そしてついに人々は再びルート66を運転するようになりました。

ヒストリックルート66の献辞として、1988年から『Fun Run』と呼ばれる祭典が毎年5月の最初の週末に開かれるようになりました。セリグマンの町に800台以上の車が集結し、エンジェルの合図と共に一斉にセリグマンからヒストリックルート66を走行します。アリゾナ州ルート66協会の成功は、再起を図る他州のルート66協会のキャンペーン運動へ多大な影響を及ぼす事となりました。

今日、アメリカ国内や世界中にいるルート66の愛好家たちはルート66を運転しに訪れ、ノスタルジックなアメリカを体験する事が出来ます。ルート66沿いの小さな町は新しい生活を取り戻し、これまでの苦難や困難はアメリカの小さな歴史の一部となりました。そしてこの全ての事柄は、町の荒廃を見過ごすことが出来きなかった小さな町・セリグマンにある小さな床屋の主・エンジェルから始まりました。

現在エンジェルの床屋はギフトショップとビジターセンターも兼ねています。今年88歳のエンジェルは今でも毎朝店を開け、世界中から訪れる人々を迎えています。そして、彼がそうだったように、たった一人でもこの世界に『違い』を生み出せることが出来るのだと訪れる人々に伝えています。

また、エンジェルの娘のミルナとクラリッサ、そして娘婿のモリショーがエンジェルのホスピタリティーを受け継ぎ、ギフトショップにて旅行者にルート66を紹介しています。

訳:Shin Nagata, Nevada Kanko Service Inc.

 

 

 

エンジェル・デルガディロとルート 66 

    
世の中には、伝統に一生を捧げるよう定められた人がいる。 エンジ ェル・デルガディロもその一人。 彼は1927年4月29日に世界的に有名 なルート66 の街アリゾナ州セリグマ ンに生まれた。 彼の両親、エン ジェルとホワァナはメキシコから移り住み、9 人の子を産 み育てた 。 エンジェル Jr.はルート 66 の街で生まれ育ち、この歴史的な 『道 』の生き証人としてこの『道』を史跡として保存することの大切さ  一番理解している。  
『家の脇をオーキー (オクラホマ周辺からの移住者) たちが  ポンコツ 車で通り過ぎるのを眺めていたのを覚えているよ!スペアタイヤ に 道具一式、家畜から 家財道具を詰め込んでさ…。』 小説家ジョン・  スタインベックの名著『怒りの葡萄』でも描かれていたように、米 国中西 部の干ばつで農地を追われた農民と大恐慌に見舞われたビジ ネスマンたち はルート 66 をたどり、日雇いの職を目当てに西へ向か った。 『第 2 次世界大戦中は兵士たちが各地から集まった、軍隊の 長い 車列、兵士を乗せた列車が通りすぎた。乗組員の交代や燃料の 補給で列車 がセリグマンに立ち寄った際は兵士が街中をかっ歩して いたのを良く見か けた。』 『戦後は夢の楽園カリフォルニアでの暮 らしめがけて、さまざま な人たちがこの『道』を旅した。ルート 66 は新しい自動車であふれた。』 当時は 1 日 24 時間で 9,000 台もの車 が通り過ぎたと言われている。 さまざまなビジネスも集まってきた 。 ダイナーやカフェ、モーテル、  ガソリンスタンド、雑貨店、賑や かなビルボードも上がり人々が集まった。 

      
『1978 年 9 月 22 日午後 1 時 30 分、セリグマンの街はバイパスさ れ ることになった。吹き飛ばされたわけだ。世の中から置き去りにさ れた ような気持でとてもさみしかった。』2,400 マイル(約 3,840km) の歴史的な 街道は高速道路 40 号線の開通により、お役目を終えた。 1987 年 2 月 18 日『おれたちは決起することにした。おれの夢は 州 政府にルート 66 を史跡に認定させることで、経済活動を復活させる こと だ!』ルート 66 保存協会アリゾナ支部を 15 名で立ち上げた。 保存協会はまず、現存するセリグマンからトパークまでの 159 マイ ル(約 254km)の区間を復興させた。人はこのエリアを『ルート 66 の 復活の地』と し、その誕生の地に人々が集うようになった。 そして 、1988 年 4 月 23 日、その夢はかなった。 エンジェルたちの活躍は 注目を浴びる。彼が受けた新聞、テレビ、 ラジオのインタビューは 国内外 180 か所。 彼を取り上げた書籍や雑誌は 数知れず。 ルート 66 とエンジェル・デルガディロの素晴らしさは世界を 魅了した。 エ ンジェルの職業は理髪師で、1947 年ルート 66 の街カリフォル ニア 州パサデナ市の理髪師専門学校で学び、同じくルート 66 の街アリゾ ナ 州ウイリアムスに弟子入りした。そして、1950 年街に戻った彼は 、独学で 理髪師となった父が当時、散髪1件 25 ㌣だったころに、 194 ㌦の大枚をは たいて購入した椅子を受け継ぎ、以来 50 年以上あ の場所で開業している。 今日、エンジェルは妻であり良きパートナ ーであるヴィルマと 1916 年に建てられた現在の理髪店兼、博物館、 観光案内所、ギフトショッ プを運営している。彼らは息子エンジェ ル 3 世、マーサ、ミラナ、クラリ サの三人娘がおり、世界中からの 訪問者にこの『道』が持つ過ぎ去った時 代と物語を語り継いでいる

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